僕の家庭は昨年1月に父親が亡くなって、姉が一人います。

怖い怖い姉がいます。でも僕の体調を常に気にかけてくれてるみたいで

心配してくれてるんや。ありがたいなと思います。

父親は自営業の工務店をやっていたのでお客様の皆さんから好かれていました。

父は僕や姉が母親からの虐待を受けていたの黙ってみてみないふりをしていましたが

本当は助けてあげたかったのか。そのあたりは定かではありませんが優しい言葉をかけてはくれました。

僕の結婚前に両親は離婚しました。本当のことを思えばもっと早く離婚してほしかった。

そして僕は、はとこの8歳年上の女性と結婚し今は僕が家庭を守らないといけない立場にあります。彼女も僕もうつ病を持っているのでお互いに理解しあって、協力し助け合って生きていけば、きっと父も天国で笑顔で居てくれていることでしょう。

妻も妻のお父さんが、ご病気で他界されていて、妻の実家は義理のお母さん一人で

暮らしているので時々妻と一緒に帰ってあげています。

義理のお母さんもこないだ70歳を迎えられてもまだまだ元気いっぱいですが、

やはり70歳なのでちょっと心配はあります。

義理のお母さんには妻の体調とか、僕の怪我で心配をおかけしたりしてきたので

これ以上義理のお母さんには心配かけないようにしていこうと思っています。

 

僕と妻の将来について

今3つ考えているのが、この家が住めなくなったらのこと考えると安いマンションにでも引っ越そうと考えています。スーパー・コンビニが近いマンションがいいかとおもいっています。そして将来的には近いうちに、妻と妻のお母さんと、妻のお姉さんと義理の甥っ子二人と6人で大阪にある箕面観光ホテル(大江戸温泉物語)にみんなで行きたいですね。

僕と妻は3回ほど泊まりに行っててつい先日、妻と妻の母を二人親子水入らずで連れて行って送り迎えしてきました。迎えに行って二人ともすごいご機嫌でした。

妻と義理の母は「今度は皆で行きたいな」と言ってました。

今度の将来の目標がまずそれが一つ。

 

そしてもう一つは、僕と妻が住んでいる近所にとても美味しい創作串カツ店があり

妻とまだ結婚する前に何度か連れて行ってあげたのですが、彼女から大絶賛だったので

妻が「お母さんとお姉ちゃんと甥っ子連れてきてあげたい」と言ってくれたので

これはまたお金貯めて連れてきてあげようと思いました。

最後にもう一つは、近々の目標ですがでもいつ行けるかわからないので将来の

目標として高校生の時の唯一の大親友が1年前に大阪から北海道の稚内に引っ越し

してしまい、なかなか会えなくなったのでお金貯めて将来的には会いに行きたいです。

僕の学生時代

小学校・中学校と・高校と成績は悪かったです。

でも小学校・中学校では友達1人もいなかったのですが、高校に入ってから

数々の面白い友達が出来て高校に入らせてくれた父に感謝しています。

昼休みは皆で食堂で集まりゲームしたり、放課後は友達の部活に誘われ遊びに行ったりしてバカ面白いことやってました。

学校内でサバイバルゲームしたり、鬼ごっこしたり、河川敷に行ってラジコンにロケット花火つけて走らせたり、1m20cmぐらいの戦艦大和を動かしたけど沈没したり

学校の中を台車で同級生を載せて暴走したりしたり、近くの駄菓子屋で駄菓子買って

皆で食べて駄菓子で面白いことしたりしていました。

休みの日は皆でボウリングしたり、食べに行ったりしました。

僕は同じ教室の中で友達がいなかったので、他の教室の友達皆のところに遊びに行ってました。先生も面白い先生ばかりで時には怖い先生もいましたがやっぱり僕らは先生と仲良しでした。

僕の通っていた学校は工業高校だったので、機械科・電気科・建築土木科・デザイン科と別れていました。機械科のオタクさん、電気科の面白い仲間とよく一緒に食事したり

して喧嘩もなくとても充実してました。

その友達の皆とは今でも交流ありみんなで旅行に行く仲です。

あのみんなとはずっと仲良くしていきたいです。

 

僕の過去はひどいものでした。

幼稚園児から僕は母親からの虐待を受けていました。何も悪いことしていないのに

暴言・暴力等、殴られたり・物を捨てられたり酷いものでした。

思い出すと気分が悪くなりますがこれを読んでいただいた皆さんに少しでもご理解していただければと思います。

中学生の時、虐待が余りにも酷くその同じくして中学校でも上級生・同級生・下級生からいじめ受けて、もう耐えられないと思い、リストカットをしてしまったのです。

この時後悔はしていなかった。ちょっとでも苦しみから逃げたかった。

家族でさえ助けてくれなかった。友達なんか一人もいない。

なんでやろう?ぼくってなにか罪でも犯したのかな?悪いことしたのかなと思いました。

ずっと泣いて生活していました。

高校になってもいじめ・虐待は続きまた自傷行為はしていました。

高校の時にしていたアルバイトも母親に辞めさせられて、真冬に家に入れてもらえず死にかけたことも何度か。でも父や姉も助けてくれず毎回父親のトラックの荷台で寝ていました。このまま死ぬのかなと思ったこともありました。

実の母親に「お前なんか生まれなかったらよかった」

「お前なんか産まなかったらよかった」と言われたこともたくさん言われました。

でも僕は自ら命を絶つということはしませんでいた。

いつか幸せが来てくれる。誰かわかってくれる人がでできてくれる。

「生きることは逃げないこと」

病気が発覚したのは9年前

父と心療内科に受診したときのこと、心療内科の先生「○○さんは、うつ病と思われます。」

高校卒業してすぐに就職したのだがまたいじめを受け自傷してしまい、クビに。

クビになってからすぐ父親が病院に連れて行ってくれた。

父親は昨年他界してもういないが父親だけはいてくれてよかったと思う。

 

読んでいただきありがとうございました。

僕と妻の生活について

結婚してからお互いに理解しあって生活している。それはなぜかというとお互いにうつ病持ちだということで、妻は動悸・片頭痛・肩こり・腹痛などを毎日起きているからです。

妻は毎日のようにちょっと生活に支障きたすぐらいに横になっています。

僕は正直に言って妻が毎日横になってても多少はいいのですが、ぶっちゃけた話、

ストレスも溜まります。それでちょっといらいらしているのも正直なとこです。

これは誰にも言ってません。

でも、僕は彼女のしんどさを理解してあげています。例えば動悸が来たら冷たい氷水を飲ませてあげたり、頭痛が来たらクエン酸入りのビタミンが入った飲み物を買ってきてあげたりして基本的にはというか今まで誰にも文句や不満は言ってない。

生活はというと今は僕自身、足を怪我していて社会に出て働けていないのが事実。

妻も僕に対して働けていないから、「ストレスたまっているのかな?」と思ってしまうのです。それに妻はおしゃれが大事みたいで、表向きは「妻だから、ちゃんとしたいい服を着て出かけないと!」て言ってるけど「おしゃれしたいだけじゃないの?」と生活費よりだいぶ妻のおしゃれに使ってしまっています。

ただでさえぎりぎりの生活なのに。

最近はもう貯金がギリギリなので外食は控えて、自炊しています。

今の住んでいる家はもともと僕の父親が建てた家で、実家です。父が昨年1月に他界してからは僕と妻が住んでいる状態です。僕的には実家であまりいい思い出はないけど

やっぱり父が建てた家を守らないとと思って、怪我が治れば社会に出て働きに出ます。

ここは生活するには不便しないとこです。川が流れてスーパーも2店あり、コンビニもあります。大きい病院もありますし、クリニックもあります。

ココでいい生活が出来ていると思います。

子どもは創らないと決めた

僕自身が幼稚園児の頃から虐待を受けていて、同じ家庭で育った姉も

子どもの泣き声が嫌いで子どもも嫌いみたいだ。

僕や姉は虐待されて育ったため子どもが出来たときに母親と同じことをするのではないかと考えてしまう。姉もきっとそうだろう。

僕には妻がいるが子どもが居たら心配が増えるし、貧し思いをさせたくないし

いじめとかあってかわいそうな目にあってほしくないと言っている。

それは僕も同感だ。毎日のように虐待や捨てられた子供がいたというニュースを聞くと

腹が立ってくる。自分の子供なのになぜ?良心がないのか?それでも人間か?

と聞いてみたくなる。僕は子どもが嫌いではない。むしろ大好きだ。

保育園でアルバイトもしたこともあるし、親戚の子の面倒を見たりして

子どもといると自然と心が掃除される。僕は収入が万全で余裕があれば2人ぐらい女の子・男の子が理想である。子どもが出来たらきっと親ばかになるんだろうなと思います。

しかし妻は子どもはいらないよ。っとよく言っている。

それはなぜかというと、妻にはお姉さんとお兄さんが居ておられお兄さんところの子は

習い事、学校、とかでお金が大変みたいです。男の子一人なのに大変みたいだよ。って言ってたので確かに僕も貧乏な暮らしはさせたくない。と思っています。

いつか子どもが出来ても安心して産めて、育てていける世の中になってほしいですね。

私の恋愛の経歴について

僕が一番最初に付き合ったのは小学校・中学校が一緒だった同期の女子だった。

僕が家で携帯をいじってたら家の電話が鳴って、僕宛に電話だった。

聞き覚えがある女子の声だったからすぐに「○○○やな」と

電話で「小学校に来てほしい。伝えたいことがあるから」

僕はこの時思った。

「どうせ罠かなんかやろ。笑いのネタにされるんかな。」

小学校・中学校の思い出ははっきり言って一つもいいことなぞなかった。

いじめを受けていたから

そんな胸中の中行ってみると、同期の女子がいた。

そして彼女はこう言ってきた。

「ずっと好きでした。付き合ってください!」と

は?

僕は何が何だかわからなかった。

笑いのネタか?罠か?

僕は彼女にこう返した。

「なんかの罰ゲームされてるの?」

すると彼女は

「本気やねん!」と

!?

僕はうれしさと不安感・不信感があったのだがまぁ捨てられる覚悟で付き合ってみるかと思い

「ふつつかな僕ですがよろしくお願いします。」といったすると彼女は喜びちょっと泣いていた。

そして付き合っていろいろあり別れて

より戻したこともあったが長いことは続かなかった。

それからあまり女子とは付き合うこともなく

高校卒業して就職しいろいろ人生を送ってきたのだが

ある女性と出会い一目ぼれをして僕から猛アタックして何とかお付き合いすることができその女性とは今僕の大事な奥さんであるのだ。

この奥さんは僕の遠い親戚なのでより大事にしないとだめだと思いしっかり守っていこうと胸に刻み込んでい